【固定観念】自分から行動しなければならない

先日、知人の子と、うちの子たちとで遊んでいました。

そんな中、うちの子たちがまとまって遊んでいたのかな?知人の子は一人で遊んでいたようで、知人が「みんなと遊ばないの?」とその子に聞きました。

その子は「誰も遊んでくれないの」と。

知人は笑って、うちの子どもたちに「〇〇ちゃん(知人の子)が『誰も遊んでくれないの~』って言ってるよ~」と言うのです。

 

私は、「え…?」と思いました。

なぜか?

そこは、知人はうちの子に「うちの子と遊んでちょうだい」的なことを言うのではなく、知人が自分の子に「仲間に入れてって言ってみな~」と教える場面ではないのだろうか?と。

うちの子どもたちは3人とも、知人の子よりも年上です。といっても、うちの末っ子と知人の子は半年違いですが。

うちの子どもたちが気を利かせて、知人の子と遊んであげるのも良いのですが、知人はまず、自分の子に世の中の渡り方を教えてあげた方が良いのじゃないだろうか?と思うのです。

しかも、知人の子はわがまま盛り。

 

もちろん、考え方はいろいろだと思います。

知人は、「年長者が年少者の面倒を見るのは当たり前」と思っているのかもしれません。

そこまで深く考えずに、自分の子が面白い発言をした(と知人は思った様子)ことを面白がっているだけなのかもしれません。

 

個人的には、「みんなが〇〇してくれない」といじけて、誰かが手を差し伸べてくれるのを待つのではなく、自分から幸せを掴んでいける子に育って欲しいと思っているので、「仲間に入りたいなら自分から行きなさい」と教えています。

そもそも、他人の子に、自分の子のために行動してもらおうという感覚が、いまいち分かりません。

それが唯一正しいとは、さすがに私も思っていませんが(^^;

つまり私は、「自分から行動しなければならない」や、「他人の子に、自分の子のための行動を促してはならない」みたいな固定観念があるのかな?

言い方は悪いですが、「自分の子は自分のコマのように動かしても良いけど、他人の子はダメ」みたいな感覚はある気がします。

知人は、そのあたりの固定観念はないんだろうなぁ…。

むしろ、自分の子を動かすのではなく、他人に「うちの子のために〇〇してちょうだい♪」って感じのような気がします。

 

さて、どちらが大人になったときに困らないかな?

な~んて考えてしまいますが、どっちもありなんでしょうね(*´ω`*)

ついつい、「私の考えの方が、大人になったときに絶対に困らない!」と思いたくなりますが、そうとも限らないですよね。他人が自分のために動いてくれる、という感覚を持っていた方が、世の中渡っていきやすいかもしれません。私が思うように「自分から動かなければ!」という固定観念に縛られると、他人から手を差し伸べられても素直に受け取れないかもしれません。

ほどほどを教えるのって、難しいですよね~。

いや、そもそも「子どもにこれを教えなければ!」というのもおこがましいのかもしれません(;’∀’)

なんかまとまらなくなってしまいましたが、今日はここまでで失礼します(*’ω’*)

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