嫁姑問題が起こるデメリットは、嫁であれば誰でも(というのは言い過ぎかな?)?実感していると思いますが、嫁姑問題が起こることのメリットもあることをご存じでしょうか?
もちろん、起こった問題を放置したり、怒りの感情をため続けたりしていては、ひとつのメリットもありません。
嫁姑問題のメリットは、問題が起きた時、どうにかして改善しよう、前に進もうとした人だけが得られるメリットになります。
もちろん、人間は感情のある生き物なので、感情的になるのは仕方のないこと。私もいつも感情的になっています(笑)
でも、その瞬間感情に支配されたとしても、少し時間がたつと冷静になれたりしますよね?その、問題が起こって、ふと冷静になったときがチャンスなんです。
自分が成長できる
姑の言動でイラっと来た!けど、少したって冷静になった瞬間に、「今回の問題の、根本的原因はなんだろう?」と考えます。
例えば私の場合ですが、第2子が生後数か月の赤ちゃんのとき、オムツいっぱいにおしっこをしていたんですが、姑が「わ~、オムツがパンパンっ!!」と言って、子どものパンパンのオムツをペチペチと叩いていたのです。
それを聞いた私は、すごくカチンときて、部屋に急いで帰り、怒りでプルプル震える手をなんとか抑えていました。
そうなんです!今考えると…客観的に見ると、姑はただ事実を口に出しただけ。怒る要素はないんですよね。
ただ、その時の私は、人生で初めて「怒りで体が震える」というのを体験するくらい、怒りを感じたのです。
それはなぜか…?
その時の私は、子どもは二人目でしたが、たぶん子育ての疲れもあったのだと思います。それから、「母親としての自信」はほとんどなく、逆に子育て等に関して知識も経験も豊富な姑に対して、劣等感すら感じていました。
「オムツがパンパン」の一言が、私の心の中では
「オムツがパンパンになるまで放置して可哀そうに!こんなにおしっこを溜めて置いたら、お尻がかぶれちゃう。なんですぐに変えてあげないの!?そんなことも知らないの!?」
と言われているように感じたのです。
姑は、ただ目の前の状態を口に出しただけなのに(笑)
こういうこと、結構ありますよね?
相手は事実を口に出しただけなのに、受け取るこちら側の事情によって、内容を膨らませて受け取ってしまう。
この時私が怒りを感じた原因は、自分の中の劣等感と罪悪感。
「オムツがパンパンの状態で放置するのはいけない。それは分かってるけど、面倒だし疲れてるから、もう少しオムツはそのままでも良いかな?ちょっとくらい放置してもかぶれないよ、うん」
と思っていたところに「オムツがパンパン!」と言われ、「オムツがパンパン(で赤ちゃんがかわいそう!)」と言われている気がしたんです。自分でも、オムツをパンパンにしておくことが、あまり良くないとは知ってるので、それを分かっててやっている自分に罪悪感も持っていた。
だから、指摘されたことでカチンときた。
私の心持ちが原因だった、ということですね。
この出来事があったことで「あぁ、自分の心持ち次第で、受け取り方って全然違うんだなぁ」ということを学べました。
問題が起こらないと気づかないことってたくさんありますが、嫁姑問題は自分の本心に気づく機会になります。
雨降って地固まるー相手をより深く理解する機会になる
別に、姑のことを理解しようとしていないし、したいと思っていない!というのが、世のお嫁さんなのではないでしょうか。
確かに、そこまで深く理解する必要もないし、理解できるわけもないのですが、「そこそこの付き合い」をするにしても、相手が何を求めているか、何を嫌っているか、あたりは理解していたほうが付き合いやすいのではないでしょうか?
たとえば、私の場合ですと、問題は一つ一つつぶしていきたいタイプ…といいますか、「悪いところは原因を探って、原因から改善していこう」と思うタイプです。今悪くても、少しずつ改善していくことで良い未来に向かっていきたいのです。
しかし私の姑は、たぶん「その場が良ければそれで良い」タイプ。というか、感情がすべての人なんだと思います。
では、私に起こった出来事をご紹介しますので、まずお読みくださいね。
数年前、内容は割愛しますが、姑を怒らせたことがあり、私も悪かったと思ったので謝ったんです。
謝ったんですが、姑の怒りは収まらず、しばらく無視されていました(;´Д`)
そんなある日、姑からメールが来まして、いろんなことが書いてありましたが「もっとしっかりした母親になってください」という文章があったんですね。
「しっかりした母親」って、どういうこと…?
私のどこがしっかりしてないと、姑は思ってるんだろう……?
と私は考えたわけです。
で、まじめな私(笑)は、「姑が思う、しっかりした母親に近づいてやろうじゃないか!」と考えまして、「しっかりした母親とは?具体的にどのようなところを、私は直せば良いですか?」というようなメールを送り返したんです。
そしたら、返信が帰ってくるどころか、さらに無視される事態に……(;´Д`)
そのときの私の心境としては、
姑が求める嫁・母親に近づこうと思ったから、姑は私のどこがダメだと思っているのかを聞こう。
そうすれば、そこを直せば姑の理想に近づけるだろうから、こんな衝突は起きなくなるだろう。
という感じだったわけです。
だって、「しっかりした」なんていう曖昧な言葉では、「私のどこがしっかりしていないのか?」が分からないと、やりようがないじゃないですか?
実際、そこまでだらしないことをしているとも自分では感じていなかったし、なにをもって「しっかりしていない」と思われているかが分からなかったのです。
怒らせた事実はありますが、そこは謝ったし、次から気を付けると言ってあるのです。それ以上どうすれば…?という感じなんですよ。
だったら、「しっかりしていない部分」を聞くしかないじゃないですか。
でもね、姑はそうは考えなかったんですね。
これは、姑に直接聞いたわけではないので憶測ですが、たぶん姑は「自分(あおいわし)の悪いところも分からないのか!?」と思ったのかもしれませんし、もしかしたら、具体的に「ここを直せば良い」という部分があったわけではないんだと思うんです。
そこで、私は理解しました。
そうか、姑は感情だけで動くタイプの人なんだな
と。
そう、たぶん、「あおいわしへのイライラ」が残った状態でメールを作っていただけで、ただの憂さ晴らしだったんじゃないかと思います。
そして、私は割と理屈っぽくて、「AだからBになって、だからCになる」というのが好きなのですが、姑はきっと「AでもBでも、CなんだからCなんだよ」というタイプ。
もっというと、Cが本当の答えでも、感情でAと思ったら理由をいろいろかき集めて無理やり答えをAに持ってくるタイプです。
自分が間違えていたとしても、間違えていたことをなかなか認めません(笑)
だから、上記のメールの返信は「分かりました、次からは気を付けます!」みたいなのを送っておけば、たとえ私自身が何も変わらず、「しっかりした母親」になっていなくても、ことが丸く収まった可能性があります。
メールを送ったときの、姑の気持ちを良い状態(私が姑も気持ちを理解したと思わせる状態)にしてあげれば、機嫌が直り、無視されることはなかったでしょう。
この出来事から私は、姑が多少間違えていたとしても、問題のない範囲であれば「そうだよね~、うんうん」と、受容の態度をとることにしています。
姑とは、女同士の、感情と感情で会話する感じを大切にすることで、うまく行くということを学習しました。
こんな感じで、深い付き合いを前提としなくても、そこそこのお付き合いを継続するためのテクニックを学ぶことができる可能性があります。
子どもに最高の環境を与えられる
想像できるかとは思いますが…
自分が嫁姑問題を通して成長すると、ちょっとのことでは動じなくなります。
これが、うわべだけ…成長したつもり、なだけだと、逆に旦那や子どもたちに八つ当たりしてしまったり…ということになりかねません。
しかし、自分の本心をみつめ、劣等感、固定観念等に気づく努力を続けると、だんだん魂が成長してくるんですね~。
小学生のころ気にしていたことでも、大人になったら気にならなくなったこと、って結構ありますよね?
そんな感じで、魂が大人になると、ちょっとしたことが気にならなくなります。
ちょっとしたことが気にならないと、怒ったりイライラしたりする回数も減ります。
さらに、自分自身が良い気分で過ごすことができる、気持ちに余裕ができると、「姑にも優しくしてあげるか~」という気分になります。
姑に優しくすると、姑もそのうち優しくしてくれるようになります。
もちろん、自分自身にも、姑のためにも良いのですが、一番は子どもたちに良い影響を与えられることが、親としては一番のメリットなのではないでしょうか?
私の例を挙げますと、私の姑は、食後の茶碗洗いは必ず私にやらせていました。
義祖母がやってくれようとするのですが、「ママ(あおいわし)がやるから良いの!そのままにしておいて!」と、義祖母にやらせないし、自分でもやらないのです。
まぁ、平日はご飯を姑が作ってくれていたので、「茶碗洗いくらいは私がやらなきゃね」とも思ってはいたのですが…
ふと「同じくらいの時間、仕事をしてきている旦那は、なぜやらなくても良いんだ…?」と考えるように。
しかも、休みの日は私がご飯を作るのが、なんとなくの決まりになっていたのですが、ご飯を私が作った日も、茶碗洗いは私。
姑は、食べた食器を下げることすらしない日もありました。
なんで私だけ!?という思いが、ず~っと消えることなく何年も続きました。
茶碗を洗うたびにイライラし、頭の中では「なんで今日も私なの?なんで誰もやってくれないの!?私だって仕事してきたのに!」と、文句しか浮かんできませんでした。
しかし――
今から1年前くらいでしょうか……ふと気づいたら、茶碗洗い中にイライラしない自分になっていたのです。
相変わらず茶碗洗いは私がやっていますし、休みの日に限らず、最近は平日も私がご飯を作ったりもします。
茶碗を洗うことに関しては、何も変わっていません。
でも、私の心持ちは全然違っています。
今までの茶碗洗いは「とにかく洗う」という感じでしたが、今は「取り出しやすいように、次に使いやすいように」等考えながら、洗った食器を片付けているし、シンクの周りも「姑が気持ち良く使えるように」とキレイに片づけられるようになりました。
もちろん、時には面倒だなぁと思うこともありますが、「ある意味一人になれる時間じゃん!好きな妄想をしよう♪」と、良い方向に考えることができるようにもなりました。
気分の良い状態がキープしやすくなりました。
気分の良い状態で子どもたちに接すると、どうなるかは想像できますよね?
大好きなアイドルグループのライブを見に行った直後に、子どもが転んでワンワン泣いていたら、イライラしますか?普段は「泣くんじゃない!」と怒鳴っているママでも、「おーよしよし♪」と上機嫌で抱っこしてあげられるのではないでしょうか?
自分が成長すると、気分の良い状態をキープしやすくなり、気持ちに余裕を持てるので、誰に対しても優しくなれます。
思い切って離れることも必要!
嫁姑問題を乗り越えると得られるメリットについてお話しましたが、いかがでしたでしょうか?
とはいえ、世の中にはどうしても自分勝手だったり、他人に迷惑をかけてもなんとも思わない姑も存在します。嫁は自分たちの所有物のように思っている姑も、未だにいるようです。
「この姑とは、どう頑張っても良い未来が見えない!」
そんな場合は、思い切って姑と距離を置くことが必要です。
距離を置くべきか?乗り越えるべきか?
迷ったときは、「姑は嫁である自分のことを大切にしてくれているか?」ということを観察してみましょう。
「大切にしてくれている気持ちは分かる、でもすれ違ってしまう」
そんな場合は、このまま試行錯誤して乗り越える方向で考えても良いでしょう。お互いに理解が深まれば、いずれ適度な距離でお付き合いできるようになります。
でも、「意地悪ばかりされたり、ないがしろにされたり、どう考えても嫁である自分のことは大切にする気なさそう」
そんなときは、あなたも姑のことを大切にする必要はありません。少し努力してみることは良いことですが、あなたの努力に見合った対応が返って来ないときは、距離をおきましょう。決して、仕返ししてやろうなんて思ってはダメですよ!距離を置きましょう。
姑のために、あなたの人生を滞らせる必要はありません(*˘人˘*)