「怒り」って、どうして湧くのだろう?と疑問に思ったことはありませんか?
「怒りが湧かなければ、姑にイラっとすることもないし、仲良く過ごせるのに…。」
私は何度も思いました。
- 私がもっと柔軟な思考を持っていたら…。
- 私がもっと姑に合わせることができれば…。
- 私がもっと気にしない性格だったら…。
- もっと広い心で姑のことを受け入れることができれば…。
私が変われば、イラっとすることはない。それは分かっているのに、自分を変えることは難しいんですよね。
怒りの感情が湧く原因の一つに「自分自身が否定されたと感じた」ときに怒りが湧く、というのがあります。
私の例で言いますと、あるときニンジンを切っていたら、姑に切り方を注意されたことがありました。
私は料理が好きではなく、子どものころも手伝いをしなかったので、野菜の切り方は自己流です。キレイに切ろうと思ってもいないので、「とにかく細かく切れれば良い」と思って切っていました。
しかし、姑は料理もしっかり母親に習って嫁に来たタイプで、いわゆる「正しい切り方」というのを知っています。なので、私が変な切り方をしているのが気になったのでしょう。「ニンジンはこう切るんだよ」と私に教えてくれました。
注意されたとき、私は少しカチンときたんです。
注意されたとき、怒られたときなどにカチンとくる人は結構いるのではないかと思いますが、そういうときは、たぶん「私は相手から否定された」という感情が心の奥底にあるのではないかと思います。
このときの、私の心の中を、掘り下げていってみますね。
- 私はニンジンの切り方を注意された→
- 私が今までやっていたニンジンの切り方を注意された→
- 私がいままでやってきたことを注意された→
- 私がやってきたことがおかしいことだと言われた→
- 私がおかしいことをしていると言われた→
- 私はおかしいと言われた→
- 私が否定された!
または、
- 私はニンジンの切り方を注意された→
- 私は料理ができないことを注意された→
- 私が親に料理の仕方も習ってこなかったことを注意された→
- 姑は私のことを料理もできない恥ずかしいやつだと思っているに違いない→
- 姑は私のことを恥ずかしい嫁だと思っているに違いない→
- 私自身が否定された!
といった感じでしょうか。私は「ニンジンの切り方」を注意されただけなのに、頭の中で、どんどん拡大解釈されて、最終的には「私自身が否定された」という解釈に変わってしまうのですね。最終的には、というよりも、怒りが湧いたときは、一瞬で「私自身が否定された」まで飛んでしまうのです。
これは大げさな例だと思いますか?
今度、あなたが怒りを感じたとき、「私は今、相手の言動をどう解釈したから怒りを感じたのだろう?」と考えてみてください。怒りを感じたということは、あなたは相手の言動に自分の解釈を加えているはずです。自分の解釈を加えずに、怒りが湧くということはありません。
たとえば、今あなたは「このお花はキレイだね~」という言葉に怒りを感じることはないですよね?
しかし、もしあなたが直前に、相手にお花をプレゼントしたのに、実はお相手はそのお花が好きではなかったと知ったとします。一応相手は「ありがとう」と受け取ってくれましたが、いまいちな表情。
その上で、上記のセリフを言われたとしたらどうでしょうか?
怒りは湧かないかもしれませんが、悲しい気持ち、残念な気持ちは湧くのではないでしょうか?
「私があげたお花は、キレイだとは思わなかったんだろうなぁ…」とか「こっちのお花の方が良かったな~って言いたいの…?」とか、いろいろ考えてしまいますよね。この、自然に湧いてくる考えが、感情の原因です。
[say img=”https://aoiwashi.com/wp-content/uploads/2017/12/自画像_s.jpg” name=”あおいわし”]次回、湧いてくる感情の扱い方についてお話したいと思います^_^
ここまで読んでくださってありがとうございました![/say]