固定観念という言葉を聞いたことがありますか?
私は、嫌な出来事のほとんどは、固定観念が作り出していると言っても過言ではない、と思っています。
今回は、固定観念を手放して幸せになる方法について解説します(*^_^*)
嫌な出来事は固定観念のせい!?
そもそも固定観念とは何でしょうか?固定観念を検索すると、以下のように出てきます。
ある人の心中に潜在して、つねに念頭を離れず、外界の動きや状況の変化によっても変革することが困難である考え。固着観念。https://kotobank.jp/
多くの人がどう思っているかにかかわらず、その人の中で「これは真実だ」と思われているもの、という捉え方もできます。
私の例を挙げますと――
私は「相手に迷惑をかけてはいけない」という固定観念がありました。迷惑の幅もいろいろあると思いますが、たとえば「おごってもらう」ことも、私は罪深いことと認識していました。なので、おごってもらえる場面になるのが、すごく嫌なのです。多くの人は「おごってもらうのはうれしいこと」と認識していると思いますが、私にとっては苦痛以外の何物でもありませんでした。おごってもらうという出来事は、私にとっては嫌な出来事だったのです。だから、おごる、おごられる、ということが起こりそうな食事会には、極力参加しませんでした。
私が、「おごってもらうのは悪いこと」という固定観念がなければ、楽しく食事に行けるし、おごってもらえて嬉しい♪という気分になれたでしょう。
固定観念を手放すとどうなるの?
では、固定観念を手放すと、どういうメリットがあるのでしょうか。上記の私の例を見てみましょう。
私は仕事の付き合いで場数を踏んで(笑)、「おごってもらうのは、そんなに悪いことじゃないのかもしれない…?」という認識に、少しずつ変わってきました。おごってもらうことを何度か繰り返し、「感謝し、お礼を述べ、次の機会におごってあげれば良いのか」と認識を改めました。それからは、少し申し訳ないなぁという気持ちは持ちながらも、「嫌な出来事」とまでは認識しなくなりました。
あなたはもしかしたら、私が出した結論に対し「当たり前じゃん、おごってもらったらおごってあげて、持ちつ持たれつやっていくのが人間でしょ!?」と思ったかもしれません。
ですが、私はその感覚がありませんでした。他者から見ると「何を悩んでいるの?」というようなことで悩んでいる人もいるのです。逆に言えば、あなたが悩んでいること、嫌だと思っていることも、他者にとっては解決するのは簡単なことかもしれません。
固定観念を手放すことで、嫌だと思っていたことが嫌ではなくなる可能性があります。
固定観念の手放し方
では、固定観念を手放すにはどうしたら良いでしょうか。以下に、私がいつもやっている方法をご紹介します。参考にしていただけると幸いです(*’ω’*)
「他人は自分を映し出す鏡である」と認識する
「相手はもう一人の自分、鏡に映った自分」というような話を聞いたことはありませんか?他者の言動は、自分が意識していない、潜在意識の部分で思っていることである、という考えです。
子どもが小さいころ、お昼寝の寝かしつけのとき、一緒に私も寝ていたことがありました。私としては、子どもが寝てるんだから私も寝たって良いじゃん、と思っていたのですが、姑に「子どもが寝ている間に家事を済ませるのが普通」というようなことを言われました。そのときは、ムカムカ、イライラと嫌な気持ちで過ごしましたが、今考えると、「それも一理あるな」と感じています。そのときムカムカしたのは、「私は昼寝しちゃって本当に良いんだろうか?本当はほかにやることがあるんじゃないか?家事を済ませてしまったほうが良いのでは…?」という考えが、心の奥底にはあったからなのです。だって、心の底から「別に寝てもいいじゃん?」って思っていたら、何を言われても気になりませんよね?
以前、子どもたちが『おそ松さん』というアニメにハマった時期がありました。おそ松さんの台詞で「働いたら負け」というのがあるのですが、子どもたちが「働いたら負けなんだって。ママは働いてるから負けだね~!」なんて言われたことがあります。でも、「働いたら負け」なんてみじんも思っていない私は、「なんじゃそりゃ?」と笑って聞いていました。これがもし、本当に心のどこかで「働いたら負け」と思っていたり、もしくは子どもに見下されたくない、子どもにすら「勝ちたい」と思っているような人だったら、「働いたら負け」もしくは「負け」という言葉に反応して、怒りの感情が湧いたのではないでしょうか。
話している相手の言動で、自分が少しでも違和感や、怒りを感じたものがあったら、それをしっかり覚えておきましょう。その違和感や怒りの感情は、あなたの固定観念を探り出す手がかりになります。
相手の言動から自分の固定観念を探り出す
相手の言動から、違和感や怒りを感じたものがあったら、「なぜ、その言動に怒りを感じたのだろうか?」と理由を考えます。怒りや違和感を感じた理由が分かれば、固定観念にも見当がつくはずです。
ちなみに、私が先日経験した「嫌な出来事」はこんな感じです。
出来事
職場の人に、LINEで事務連絡をしたら、電話がかかってきた。その時に私は嫌な気分になった。
なぜ嫌な気分になった?
「常識」にうるさい人であり、事務連絡は電話ですべきだったかも?と考えた。
あとで他人に私のことを「非常識な人だ」と吹聴して回るだろうことが予想された。
ここで、「あぁ失敗。今度はちゃんとしよう」と思えれば良いのですが、私はここで引きずってしまうんですね。
そこから見えてきた私の固定観念は、こんな感じでした。
・他人に迷惑をかけてはいけない
・相手を怒らせてはいけない
・相手に嫌な思いをさせてはいけない
・ルールを破ってはいけない
・常識的な行動をしなければならない
・非常識な人だと思われることをしてはいけない
さらに「誰からも良い人と思われたい」という、私の願望が見えてきました。自分が少しでも悪者になるのが嫌なんですね。
逆の観念を考えてみる
上記の例から、逆の観念を考えてみます。私の場合は、「言い訳」も考えると気持ちが落ち着くので、そうしています(笑)
・他人に迷惑をかけても良い
→だって、誰にも迷惑をかけないなんて無理だよ。どうしても迷惑をかけたくないなら、山奥で自給自足の生活をするしかないでしょ?人間、持ちつ持たれつ。迷惑をかけ、かけられ、助け合いながら生きていくのが人間でしょ?迷惑をかけたら「ごめんね」、いろいろやってもらったら「ありがとう」をすれば良いのでは?
・相手を怒らせても良い
・相手に嫌な思いをさせても良い
→怒る・怒らないの選択の自由が、相手にもある。相手の固定観念によって怒るポイントは違うわけだから、私がいくら「相手を怒らせないように」と気を使ったところで無駄というものでしょう。
・ルールを破っても良い
→そもそもそのルールは、誰が決めたもの?もちろん法律は守らなきゃいけないけど、ルール違反をして平気な人って、意外と多いよね。そこまでガチガチにルールに縛られなくても良いのでは?
・非常識な行動をしても良い
・非常識な人だと思われても良い
→そもそも「常識」って何?人によって違うよね?「私の常識は、誰かの非常識」って誰かが言ってたけど…。「どんな決まりでも守らなきゃ」というのは常識と思っていたけど、「時間くらいルーズでも良いよね?」という人けっこういるよね?ビジネスマナーだって、ところ変わればって感じだし。非常識だと恥ずかしいと思ってたけど、そもそも常識と非常識の境が人それぞれだから、あまりにも外れてなければ良いんじゃなかろうか……?
そして、「誰からも良い人と思われたい」という私の願望は、
「んなこと、そもそもできるわけないッス(*´Д`)」
という結論に達しました。
「それも良いね」と言ってみる
最後は、先ほど出した「逆の観念」を「それも良いね」と認めてみてください。
「他人に迷惑をかけたって良いじゃない、人間だもの」「相手を怒らせたって良いじゃない、人間だもの」というように、口に出してみましょう。心から思えなくても大丈夫です。口に出すだけでも効果があります。
私も、すぐには自分とは逆の観念を認めることができませんでした。「だって、人に迷惑かけたらダメじゃん。迷惑かけないに越したことはないじゃん!」ってね(笑) しばらくそんな感じでしたし、今でもやっぱり「できれば他人に迷惑かけたくないなぁ」とは思っています。でも、少しずつ、少しずつ、「まぁいいか」という感覚も出てきました。
長年抱えてきた固定観念です。一瞬で変えることは難しいでしょう。でも、これを続けることで、気づいたときには「いつの間にか気にならなくなっていた」という状態になりますよ(*´ω`*)
固定観念を手放すための具体例
上記の説明では抽象的すぎて分かりにくい!
そんな方のために、もう少し、具体的で詳しい「固定観念の手放し方」を書いてみましたので、ご参考までに(*˘人˘*)
【例えばこんな感じのとき……】
仕事に来たは良いけどダルい…。熱を測ってみたら37.5℃あった!
帰ろうか?それとも、微熱程度だから仕事をしていこうか?迷っていると、ちょっと気に入らない同僚Aさんに「ただの微熱じゃん!元気そうだから、仕事していったら?」と言われてイラっとした!
という場合について考えてみます。
この出来事から、あおいわしには「熱がある人には、休むことを勧めるべきだ」という観念がありそうです。
固定観念が分かったので、逆の観念「熱がある人にも、仕事をやっていけと勧めるのもアリ」というのを考えてみたけれど、それでも相手に対する怒りがおさまらない…。
そんな場合、以下のように考えるのはいかがでしょうか^_^
「当たり前」はくせものだと知る
もしかして、「熱がある人に休むことを勧めるのは、当たり前」という考えがないでしょうか?
当たり前…つまり、いわゆる一般常識と言われるヤツですね。
一般常識とは、別の言い方をすると大多数の人が持っている固定観念であり、固定観念であることに変わりはありません。少人数か、大人数かの違いがあるだけです。
一般常識と言われると、ついつい「一般常識なんだから、自分が正しい」と思いがちです。しかし、少人数とはいえ、あなたとは別の観念を選ぶ人もいるのです。
自分が正しいということは、つまりは相手が間違えているということになります。
もちろん、相手も、自分が正しくて相手が間違えていると思っているでしょう。
どちらが正解、不正解ということはなく、信じているものが違うというだけ。
【自分の常識は、誰かの非常識】ということが腑に落ちると、気持ちが楽になります。
自分の問題と相手の問題を分ける
「同僚Aさんが仕事をして行けと言うから、仕方なく、具合が悪いけどがんばった。帰ったらさらに具合が悪くなって入院する羽目に。つまり、同僚Aさんのせいで入院になった」
このように考えること、ありませんか?
実はこれ、入院になったのはAさんのせいではなく、あくまで本人・あおいわし のせいなのです。
確かに同僚Aさんは「仕事をしていきなよ」と言ったかもしれません。しかし、そう言われたからと言って、仕事をするか?帰って休むか?の選択権は、あくまで自分にあります。法律でAさんの言うことを聞かなければならないと決まっているわけではありません。
もちろん、Aさんの言うことを聞いておかないと、あとで面倒くさいことになるから…という場合もあるでしょう。
しかし、残念ながらそのような場合であっても、仕事をするか、帰るかの選択権は自分にあり、選択の結果の責任も自分にあるのです。
今度は逆に……
例えば「自分が仕事をしていかないと、Aさんが怒るんだよな…」という場合もありますよね。その際のAさんが怒った原因は、あおいわしのせいではないのです。
Aさんの感情は、Aさんにしか選択できません。あおいわしは、Aさんが怒るきっかけを作ったかもしれませんが、Aさんを怒らせることはできないのです。とっても機嫌の良いAさんを怒らせることって、できないと思いませんか?
イギリスのことわざに【馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない】というのがあります。水を飲ませる機会を作ることはできても、水を飲むか飲まないかは馬次第なんですね。それと同じことです。
もしかしたらAさんには、「少しくらいの体調不良で仕事を休んではいけない」という固定観念があるのかもしれませんし、「私が若いころは微熱程度じゃ帰れなかったんだから!」という嫉妬心のようなものもあるのかもしれません。どんな背景があっての発言かはAさんにしか分かりませんが、これはあくまでAさんの問題であって、あおいわしの問題ではないのです。
相手の固定観念からの発言に振り回される必要はありません。
相手に期待しない
人間がイライラするときは、少なからず相手に期待していることが多いものです。
今回の場合は、「自分は熱が出ていて、病気なのだ。だから、みんな私に優しくしてくれるだろう。熱が出てるんだから『帰って休みなよ』と言ってくれるのが普通」というようなことを、無意識のうちに思ってしまっていないでしょうか?
期待通りの反応が得られなかった時に、人間は怒りを感じるようです。
「友達なんだから、〇〇してくれるだろう」「きっと〇〇のはず」と自分が勝手に思っているだけなのに、相手がその行動をしてくれないと怒りが湧くんですよね。
こうやって文章にすると「自分が勝手に思ってるだけなんだから、相手がやってくれないのは当たり前じゃん!怒る方がおかしいよ」と思えるのですが、その場になると、なぜか怒りが抑えられないんですよね。不思議です(笑)
詳しくはこちら ↓ の本に書かれていますので、ご興味のある方はぜひお手に取ってみてください。本の内容がストンと入ってくると、確かに怒りを感じにくくなります^_^
自分の優先順位を見極める
これが一番大事かもしれませんが…
自分にとって、何が一番大切なのか?
自分にとっての最優先事項は何か?
これを知ることで、相手に何を言われてもぶれない自分になることができます。
今回の場合は、「自分の身体が一番大事」ということが分かっていれば、迷わず「帰って休む」という選択ができるはずです。「Aさんに悪いかな…」とか「Aさんに怒られるかも…」と考えたところで、Aさんの考えや行動を決めるのはAさんです。あおいわしが、いくらAさんのためにと思って行動しても、AさんがNOと言えばNOになるのです。
相手の機嫌を取るために、自分の健康を害しますか?
もちろん「ちょっとくらい体を壊しても、今は仕事が大事!」というのであれば、仕事を選ぶのも良いのです。
大事なのは、常に自分にとって優先順位の高い方を選ぶということ。
優先順位の高い方、つまり、大切な方を選択し続けることで、満足度の高い人生になります。大切な方を選択することに慣れ、満足度の高い人生を歩むことで、誰かに何かを言われても気にならなくなってきます。
まとめ:固定観念を手放して、スッキリさっぱり生きよう♪
以上、固定観念が嫌な出来事を起こしていること、固定観念の手放し方について解説しました。
「そうは言っても……」「頭では分かってるんだけど……」そのように思う気持ち、分かります!もちろん、私も最初からできたわけではありません。
「頭では分かってるんだけど、できないんだよ~(><)」と思っても良いのです。少し落ち着いて冷静になったときに「そうだよね、相手に期待してるから怒りが湧くんだよね」「そうだった、自分のことは自分で決めれば良いんだった」と思い出す。これを繰り返すことで、少しずつできるようになってきます。
続けていれば、いずれはちょっとしたことでは動じない自分になれるでしょう。それまで、感情の乱高下を楽しんでみませんか?
焦らず、ゆっくり進みましょう^_^