今回は、姑からしばらくの間無視され続けていたときのことをお話します。
きっかけはちょっとしたすれ違いだったと思います。その日から挨拶しても返答なし、会話は必要最低限という、とても居心地の悪い日が続きました。攻撃らしい攻撃はしてきませんが、シカトという攻撃をされ続けました。
「子どもみたいな姑」にも、「大人の対応」を心がけた
当時の私はとても悩みまして、「大人なんだから、あいさつはするべきでしょ?社会人失格!」と思っていました。
旦那に助けを求めて、「お義母さんに何か言ってくれない?」と根回ししてみても、旦那は何もしてくれず。
思わず旦那に「あなたのお母さん、本当に社会人なの?子どもなんじゃない?」なんて罵ったこともありました。自分の機嫌が悪いからって、あいさつしている人を無視するなんて、社会人として恥ずかしことだと、私は考えていたからです。
まぁ、旦那に怒りをぶつけるあたり、私も子どもでしたが……(^^;
姑には姑の事情があったのだと思いますが、まぁ、シカトは意地悪ですよね。
いろんな人に愚痴を聞いてもらった結果、「あおいわしも無視し返しても良いんじゃない?」とアドバイスを受けましたが、「やっぱり大人としての対応をしよう」と思い、私から無視するのはやめました。
でも、やはり挨拶を返してもらえないのは精神的に厳しかったので、苦肉の策として、姑の姿が見えたら「家に挨拶をする」ことにしました。家にあいさつしてるんだから、返事が返って来ないのは当たり前ですからね(笑)
こうすることで、姑から返事が返ってこないことによる私の精神的ダメージは、少し軽減される気がしました。
「大人の余裕」を取り戻す
日常会話は、必要最低限は続け、極力「普通」の態度を心がけました。
それを続けていると、あら不思議。
未だにプリプリして私を無視し続けている姑が、なんだか滑稽に見えてくるんですね。
「姑ってば、子どもだなぁ~…」とか、「怒りの感情を持ち続けるって、結構エネルギーいるよね」とか、客観的に見えるようになってきました。
年齢的には姑の方が上ですが、魂の年齢は私の方が上なんじゃない!?みたいな感覚が生まれました(^^;
こで優越感を感じている時点で、私の魂レベルも大したことないですが(笑)
そうなると、「私の方が大人なんだから、姑の成長を温かく見守ってやるか」と思える心の余裕が出てきたんですね。
このシカト事件がどのくらいの期間続いたかは、はっきりは覚えていませんが、いつの間にか普通に会話できるようになっていました。
姑から無視されたときの対処法
当時は、この流れはなんとなくやったものでしたが、これを今振り返ると、こんなことをやっていたんだろうなと考えられます。
1、自分の固定観念に気づく
まず、私には【固定観念】があったことに気づきました。もっと簡単に言えば【思い込み】ですね。
どんな思い込みがあったかといいますと「大人は挨拶をされたら挨拶をし返さなければならない」と「挨拶は心を込めて行わなければならない」というような思い込みです。
そんなの一般常識だよね?と思ったかもしれません。私はそう思っていました。
でも、屁理屈を言えば、「常識ってどこからどこまでが常識?」となりますよね。
国によっても常識は違うし、県や家庭によっても違ったりします。
ちなみに、私の姑は、結婚したばかりのころ、姑の舅(旦那の祖父)に朝の挨拶をしたら「家族なんだから挨拶はしなくて良い」と言われたそうです。この家では「家族は朝の挨拶はしない」というのが常識ということですね。
「家族は挨拶しなくて良い」という常識を持っている姑の舅には、あいさつをしても返って来ないのはあたりまえ、というわけです。まぁ、そんな環境で育っても、旦那は家族にも挨拶する大人になりましたが(笑)
つまり、常識というのは曖昧で、人によって違うことが多いのです。
だから、自分に「姑には挨拶をしなくても良い」と許しを与えてみました。
だけど、自分の中では「挨拶をしない」というのはどうにも気持ちが悪い…。そこで、「姑にじゃないよ~家に挨拶してるんだよ~」ということにして、間をとってみたんですね。
2、「姑の行動は姑が決めること」と認識する
そして、それによって【姑が挨拶を返すか返さないかは、姑が決めて良いんだよな】と気づきました。
人間誰しも、自分の行動は自分しか決められません。私は姑に、普通にあいさつを返してほしかったのですが、姑が挨拶をするかしないかは、姑が決めること。そこで無理やり姑に挨拶をさせることはできません。
むしろ「姑も挨拶をしなきゃダメじゃん!」というのは、相手の行動を決めようとしていることになりかねません。
もちろん逆も然りで、姑は私に「子どもの持ち物を手作りする」とか「お昼寝布団のカバーは毎回アイロンをかける」とか、そういうことをやって欲しいと思っていたようなのですが、私はそこに価値を置いていませんでした。
市販のもので十分だし、布団カバーはシワシワじゃなければ良かったので、何度も言われましたが、結果的にはやらずじまいでした。
姑は、「カバーは毎回アイロンをかけねばならない」という【固定観念/思い込み】を持っていたようです。
余談ですが、私も姑に毎回チクチク言われるのが嫌だったので、アイロンをかけたり手作りを考えたりする努力はしました。最初から「何言われても気にしな~い」という性格だったわけではありません。
が、「言われるのが嫌だ」と思うよりも「作るの、アイロンかけるのが面倒」が勝ってしまったので、小言を言われ、胃を痛めながらも、姑の言葉を流し続け、結果的には姑の方が折れた感じです(笑)
私の行動は、私しか決められませんからね。姑が折れるしかないのは当たりまえです。
3、良い方に意識を向ける
ただ、あいさつが返って来ないのは、正直残念な気分になります。
マイナスな感情が出るのは当たり前です。
私も、嫌な気分にならなかったわけではありません。が、ここでは【良い方に意識を向ける】ことをひたすら続けていました。
「思考は現実化する」という言葉がありますが、つまりは良いことに意識を向けている方が、現実も良いことが起こる確率が高いよ、というニュアンスでしょうか。
また、「無理やりにでも笑顔を作ると、気分が良くなってくる」という話を聞いたことがありますか?
気分、感情は、体とつながっているのです。
背中を丸めていると自信がなくなってくるけど、胸をピンと張っていると自信が出てくる、とか。
下がっている口角を上げる(笑顔を作る)と、気分が向上する、とか。
私も半信半疑だったのですが、実際にその通りでした。といっても、小さい変化なので気分が落ち込んでいるときには、大した変化を感じられないかもしれませんが、それでも、やり続けるに越したことはありません。
また、とにかく「ありがとう」を一日何十回も唱えることで、良い現実を引き寄せる、という方法も知りました。これも、私が実際にやってみて効果があるなと感じています。
今でも、姑にチクっと言われて悲しくなったり、怒りが湧いたりしたときに、すぐに「あぁそうだった、ありがとう、ありがとう、ありがとう……」と心の中でひたすらつぶやきます。これのおかげで、凹んだ状態からの回復が年々早くなっています(笑)
4、自分の成長を認める
そして最後ですが、【自分の成長を認めてあげる】ことをしていました。
たとえば、子ども相手に本気で怒る大人って…まぁ今の世の中にはいるかもしれませんが、基本的には少ないですよね。
よその子に挨拶しても「ふんっ」と挨拶を返してくれないとき、嫌な気持ちにはなるかもしれませんが、そこまで落ち込んだりしませんよね。「まぁそんなもんか」とか「親の教育、大丈夫かな?」とか、「恥ずかしがりやさんなのかな?」とか、寛大な目で見れることが多いのではないかと思います。
これが、姑だと…大人で、しかも近しい人だと思うから、残念な気持ちが大きくなるんですよね。「挨拶ができるはずの人」なのにしてくれない。もしかして私のこと嫌いなの?
しかし、相手は「自分の物差しで嫁をコントロールしようとしたり、自分の感情をむき出しにして大人の対応ができない人」つまりは、中身は「子ども」なんです。
そう思えた時「子どもに腹を立ててもなぁ…子どもだしなぁ」と、心から諦めることができるようになりました。
まとめ:同じ土俵に立ってはダメ!大人の対応を
そんな感じで、姑に無視され続けた私も、元通り…いやそれ以上に良い関係を、今は続けることができています^_^
相手が子どもみたいに理不尽に怒りをぶつけてきたり、自分のわがままを通そうとするときは、相手と同じ土俵に立ってはいけません。あなたも同じようにやり返してしまっては、相手と同じ、理不尽でわがままなおこちゃまになってしまいかねません。
客観的に、一歩下がって状況を把握する努力をしましょう。一段高いところから見ると、違った世界が見えてきます。
その上で、相手の精神年齢が低くて話にならないのであれば、距離を置くことも考えましょう(*˘人˘*)