姑から無視されたあと、どうやって元に戻ったか?

前回はこんな↓記事を投稿しました。

姑から無視された話

当時は、この流れはなんとなくやったものでしたが、これを今振り返ると、こんなことをやっていたんだろうなと考えられます。
まず、私には①【固定観念】があったことに気づきました。もっと簡単に言えば【思い込み】ですね。
どんな思い込みがあったかといいますと「大人は挨拶をされたら挨拶をし返さなければならない」と「挨拶は心を込めて行わなければならない」というような思い込みです。

それって、思い込みじゃなくて「一般常識」というのではないですか…?
もちろん私もそう思います。

が、屁理屈を言えば、「常識ってどこからどこまでが常識?」となりますよね。
国によっても常識は違うし、県や家庭によっても違ったりします。

ちなみに、私の義母は、結婚したばかりのころ、義母の舅に朝の挨拶をしたら「家族なんだから挨拶はしなくて良い」と言われたそうです。この家では「朝の挨拶はしない」というのが常識ということですね。
「家族は挨拶しなくて良い」という常識を持っている義母の舅には、あいさつをしても返って来ないのはあたりまえ、というわけです。

つまり、常識というのは曖昧で、人によって違ったりもするのです。
だから、自分に「義母には挨拶をしなくても良い」と許しを与えてみました
だけど、自分の中では「挨拶をしない」というのはどうにも気持ちが悪い…。そこで、「義母にじゃないよ~家に挨拶してるんだよ~」ということにして、間をとってみたんですね。

そして、それによって②【義母が挨拶を返すか返さないかは、義母が決めて良いんだよな】と気づきました。
人間誰しも、自分の行動は自分しか決められません。私は義母に、普通にあいさつを返してほしかったのですが、義母が挨拶をするかしないかは、義母が決めること。そこで無理やり義母に挨拶をさせることはできません。
むしろ「義母も挨拶をしなきゃダメじゃん!」というのは、相手の行動を決めようとしていることになりかねません。
もちろん逆も然りで、義母は私に「子どもの持ち物を手作りする」とか「お昼寝布団のカバーは毎回アイロンをかける」とか、そういうことをやって欲しいと思っていたっぽいのですが、私はそこに価値を置いていませんでした。
市販のもので十分だし、布団カバーはシワシワじゃなければ良かったので、何度も言われましたが、結果的にはやらずじまいでした(^^;
義母は、「カバーは毎回アイロンをかけねばならない」という【固定観念/思い込み】を持っていたようです。

余談ですが、私も義母に毎回チクチク言われるのが嫌だったので、アイロンをかけたり手作りを考えたりする努力はしました。最初から「何言われても気にしな~い」という性格だったわけではありません。
が、「言われるのが嫌だ」と思うよりも「作るの、アイロンかけるのが面倒」が勝ってしまったので、小言を言われ、胃を痛めながらも、義母の言葉を流し続け、結果的には義母の方が折れてくれました(^^;
私の行動は、私しか決められませんからね。義母が折れるしかないのは当たりまえなんですが(^^;

ただ、あいさつが返って来ないのは、正直残念な気分になります。
マイナスな感情が出るのは当たり前です。
私も、嫌な気分にならなかったわけではありません。が、ここでは③【良い方に意識を向ける】ことをひたすら続けていました。
「思考は現実化する」だったかな?そんな感じの話があったと思うのですが、つまりは良いことばかりに意識を向けていると、現実も良いことばかりが起こる、という感じだったと思います。曖昧ですみません(^^;
また、「無理やりにでも笑顔を作ると、気分が良くなってくる」という話を聞いたことがありますか?
気分、感情は、体とつながっているのです。
背中を丸めていると自信がなくなってくるけど、胸をピンと張っていると自信が出てくる、とか。
下がっている口角を上げる(笑顔を作る)と、気分が向上する、とか。
私も半信半疑だったのですが、実際にその通りでした。といっても、小さい変化なので気分が落ち込んでいるときには、大した変化を感じられないかもしれませんが(^^;
それでも、やり続けるに越したことはありません。

また、このシカト事件のあとになるのですが、とにかく「ありがとう」を一日何十回も唱えることで、良い現実を引き寄せる、なんていう方法も知りました。これも、私が実際にやってみて効果があるなと感じています。
今でも、義母にチクっと言われて悲しくなったり、怒りが湧いたりしたときに、すぐに「あぁそうだった、ありがとう、ありがとう、ありがとう……」と心の中でひたすらつぶやきます。これのおかげで、凹んだ状態からの回復が年々早くなっている気がします(笑)

そして最後ですが、④【自分の成長を認めてあげる】ことをしていました。
正確には、勝手に優越感に浸っていただけなのですが(^^;
たとえば、子ども相手に本気で怒る大人って…まぁ今の世の中にはいるかもしれませんが、基本的には少ないですよね。
よその子に挨拶しても「ふんっ」と挨拶を返してくれないとき、まぁ嫌な気持ちにはなるかもしれませんが、そこまで落ち込んだりしませんよね。「まぁそんなもんか」とか「親の教育大丈夫かな?」とか、「恥ずかしがりやさんなのかな?」とか、寛大な目で見れることが多いのではないかと思います。
これが、義母だと…大人で、しかも近しい人だと思うから、残念な気持ちが大きくなるんですよね。「挨拶ができるはずの人」なのにしてくれない。もしかして私のこと嫌いなの?
しかし、相手は「自分の物差しで嫁をコントロールしようとしたり、自分の感情をむき出しにして大人の対応ができない人」つまりは、中身は「子ども」なんです。
そう思えた時「子どもに腹を立ててもなぁ…子どもだしなぁ」と、心から諦めることができるようになりました。

って、なんか日本語がおかしい気もしますが(^^;

そんなこんなで、姑に無視され続けた私も、元通り…いやそれ以上に良い関係を今は続けることができています^_^

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です