「姑も昔は嫁だった。だから、嫁である私の気持ちを分かってくれても良いはず。」
そう考えたことはありませんか?
私はずっとそう思っていましたし、「世の姑み~んながそれをできれば、嫁姑問題はなくなるはず!」と考えていました。私は絶対、自分の息子のお嫁さんと仲良くするんだ!私がやられて嫌だったことはやらないんだ!と思っていました。
しかし、姑との間にあまり問題を感じなくなった今、その考え方が少しズレていることに気づきました。まだ姑にはなっていませんが、嫁を10年やってみて、姑の気持ちに寄り添う形で嫁姑問題を考察してみたいと思います。
そもそも嫁だったころの自分を覚えていない
今私は嫁であり、嫁姑問題で悩んでいる最中だとします。そうすると、「嫁は~云々、姑は~云々」といつも考えていますよね。ちなみに、今は問題では悩んでいませんが、ブログを書くために毎日嫁姑問題について考えています。でも、高校生の時に悩んでいた「数学の公式、なんだったっけ!?」「部活で強くなるためには…?」ということは、今は頭の片隅にもありません。
あなたのお姑さんも、たぶんこれと同じことが起きています。
嫁であったのは昔の話。今は、姑である自分のことで精いっぱいで、嫁だったころの自分のことは、あまり思い出すことはないでしょう。
[say img=”https://aoiwashi.com/wp-content/uploads/2018/02/おかっぱ_s.jpg” name=”嫁”]でも、たとえば目の前に高校生の自分の娘がいたら、「自分が高校生の時はこうだったから、娘もこうかも…?」なんて考えますよね?[/say]
確かに、当時の自分を思い出して、娘に当てはめて考えたりします。が、その高校生のときの感情って、リアルに思い出せますか?「嫁姑問題を経験している今の私」から見た、「当時高校生だったころの自分」を思い出しているので、人生経験を積んだ分、客観的に見れるようになっているはずです。
部活での悩みを、今リアルに思い出せと言われて、思い出すことができるでしょうか。場合によっては、その悩みや出来事は、美化されたり、大した問題じゃなかったと思えたり、はたまたかなり過酷だった思い出として、大げさにあなたの中に記録されているのではないでしょうか?
姑が嫁だった時の記憶は、実際は今のあなたや私と変わらず、いろいろ悩んでいたとしても、「自分は姑の言うことをよく聞く嫁で、嫁としてしっかり勤め上げた!」「とても良いお姑さんだった、何も問題なかった」と美化されているかもしれません。出来事は忘れても感情は覚えている、ということもありますが、今度はその感情が誇大化され、実際はそこそこうまくいっていたとしても「すっごくわがままな姑で大変だった!」という記憶にすり替わっているかもしれません。
人間の記憶とはあいまいなもので、当時の日記を読んで、やっとでその時の感情を思い出す、ということもあります。まさに私がそうで、今では「嫁姑問題なんて、何もなかった気がする~」っていう顔をしていますが、当時の日記を見るとみにくい感情が書き連ねてあります(^^;
あなたのお姑さんの記憶の中でも、いろいろと都合よく書き換えられているはずです。
人生経験を重ねたからこそ見えているものがある
初めて「嫁」になったときから「姑」になるまでは、20年以上時間が経っていることが多いでしょう。その間に、あなたがまったく変わらないことはないはずです。好みも変わるし、考え方も変わる。
同じ「あなた」であっても20代のあなたと、50代のあなたでは、別の人間といっても良いくらい、いろいろ変わっているはずです。それこそ、20代よりも50代の方が、魂が成長しているでしょう。
つまり、「嫁」から「姑」にもなっていますが、20代から50代になったから考え方などが変わっている可能性があります。
20代の姑と、今のあなたが、もし同時に存在できるとしたら、もしかしたら気持ちを分かり合えたかもしれません。同じ感覚で「料理に口出ししないで欲しいよねぇ?」「私たち夫婦のことなんだから、ほっといてほしいよね!」などと言い合えたでしょう。しかし、姑は初めて嫁になった20代のころから、20年以上経過しています。人生経験をたくさん積んで、自分の子どもの成長を見届けました。
きっと、自分のことも、家族のことも、社会全体のことも、当時よりも高い視点から俯瞰(ふかん)してみることができるようになっていることでしょう。子どもよりも、大人の方が状況把握する力が高いのと一緒です。
私たち若い嫁の立場では見えないものが、きっと姑には見えている。だから口出しせずにはいられなくなる…のかな?というのはあります。
「余計なお世話」と言ってしまえばそうですが(^^;
見えていると、ついつい言いたくなってしまう気持ちは、あなたがお子様についつい手出し口出ししたくなる心境と一緒だと考えれば、お分かりいただけるのではないかと思います。
人生経験を積んで、考え方が変わったのかも
あなたのお姑さんが新米のお嫁さんだったとき、「私たちのことには口出さないでほしい!好きにやらせてほしい!」と思っていたとします。なんでも口出し手出ししてくるお姑さんで、「なんでほっといてくれないの!?私たちには私たちのやり方があるのに!」と怒りを感じていたかもしれません。
しかし、人生経験を積むうちに「あぁ、あのとき姑に言われたこと、今やっとわかった!」と思い、姑に感謝できるようになったとしましょう。当時は余計な口出しだと思っていたことが、思い返せばありがたい手助けだった。そう思えたとき、あなたのお姑さんは、こう思うかもしれません。
「うちのお嫁さんも、いつか気づいてくれるだろう。だから、今嫌われてもやってあげなきゃ!」と。
あなたに嫌われることを覚悟のうえで、あえて、善意で、手出し口出ししている可能性もあるのではないでしょうか。
そもそも別の人間だから、やって欲しいことも違う
また、個人的に見落としていたことが、「そもそもが違う人間なのだから、姑にやって欲しいこと、やって欲しくないことの基準が違う」ということです。よく考えなくても当たり前なのですが、私はこの点を見落としていました(^^;
昔嫁だった姑は、嫁だったときに「もっと子育てを手伝ってくれたら良いのに!」と思っていた。全然面倒を見てくれない姑で、家事に子育てに仕事に、大忙しだった。だから今、孫に頻繁に会いに来て、嫁であるあなたを助けているつもりなのかもしれません。
昔嫁だった姑は、過干渉な姑に困っていた。だから今、必要最低限しか接触してこないのかもしれず、あなたのことを避けているわけではないかもしれません。
私の姑は、それこそ私を助けてくれようとして、いろいろ世話を焼いてくれていたのだと思います。私が「人づきあいは面倒だから、できれば姑とかかわりたくない」と思っていたため、過干渉だと感じました。
私の姑は、人と一緒にいるのが好きみたいで「同居万歳」な人です。しかし、知り合いのお姑さんは、息子夫婦との同居が嫌で、「早く出て行ってくれないかな~」と言っています。どうやらお嫁さんの方が同居を申し込んだそうです。一口に「姑」「嫁」と言っても、いろいろなタイプがいるんですよね。
かなり当たり前ですが(^^;
つまり、嫁姑問題は、嫁か姑かにかかわらず、相手を一人の人間として尊敬・尊重できるかどうかで、問題が起こるかどうかが分かれるのかなぁと、これまた当たり前の結論に達しました(笑)