結婚して数年、姑との関係に悩んでいた私ですが、そのおかげで人間としてだいぶ成長できたと自負しています。
結婚する前までの私は、幸いにも大きな悩みなどなく、人間関係もお金も健康も、ほぼ不自由のない人生を送っていたように思います。
「結婚は修行」と言いますが、私は夫との関係よりも、結婚したことでオマケでついてきた姑との関係で、かなりの修行を積みました(笑)ある意味、姑のおかげで、今現在の人生はイージーモードになってきたように思います。
私がどんな嫁姑学習をしてきたかというと、自分の言動を振り返ることを繰り返しました。意図して、というよりは、結果的にそうなった、という感じですが。
私が幸せを感じられるようになるまでの流れを、簡単にお伝えしますので、参考にしていただけると嬉しいです^_^
私の嫁姑学習の流れ
とにかく姑の言動が気に入らなかった数年前
結婚したばかりのころは、それはそれは、姑のやることなすこと、何でもかんでもいちいち気に障っていました。
第一子である長女が赤ちゃんの頃は、まだアパートに住んでいたのですが、突然アパートに来て長女をさらっていく(と、当時は感じていた)のです( ゚Д゚) いや、もちろん声はかけていきますけどね(笑)
乳児湿疹が出ていた長女を見て、病院に連れて行ったのか聞かれましたが、私は「乳児湿疹は清潔にしていればそのうち引く」とネットに書いてあったのを信じてそのようにしていました。そしたら終いには「虐待だ」と言われ、結局病院に連れて行ったことがあります。結果的には薬を使わずに引いたのですが…(^^;
熱が出ても、すぐには病院に連れて行かなくても大丈夫と思っている私とは反対で、姑は「何かあったらどうするの!?」と、すぐに病院に連れていきたいタイプ。上記の虐待発言の後は、姑が怖くて37℃台でも病院に連れて行っていました。
もう今となっては何を言われたか覚えていませんが、オムツ交換の時も何か言われて、初めて身体が震えるくらい怒りを感じたことは覚えています。あいさつしても返してくれないこともあり、とても悩んで職場の年配の女性に相談していました。
このように、姑の言葉、行動を敏感に拾って、とにかくイライラしていた時期がありました。アパート暮らしの時もですが、同居になってからはなおさら。さらに悪化しました。
なぜ気に入らないのか考えた
そんな環境に耐えられず、旦那に愚痴り散らす毎日…。「家を出たい」という話もしましたが、旦那に対して「あなたの両親って、なんて非常識なの!?」と詰め寄ることもありました。
今では「非常識」や「配慮が足りない」はお互い様だと分かりますが、当時は義両親が悪いと思っていました。
旦那は、私が愚痴っている間は、うんともすんとも言わなくなります。当時はそれも私のイライラの原因でしたが、今考えると、言い返してこない旦那だったから、私がこんなに成長できたんだなぁと、感謝しています。
旦那が何も言わないので、私が言った言葉がそのまま私にダイレクトに返ってくるんですよね。例えば「うん、そうかそうか、あおいわしの言うこと、よーくわかるよ」と言ってくれるタイプの旦那だったら、愚痴ってスッキリして終わるでしょう。
また、言い返してくるような旦那だったら、愚痴ることも諦め、自分の中で悶々としたものを抱えながら生活していたでしょう。
ですが、本当に全く何も言わなくなってしまう旦那です。スッキリもしない、でも誰かに聞いてもらいたいから旦那に言う。幸い聞いてはくれているので、つい言っちゃう。
まるで、鏡の中の私に愚痴っている感覚でした。私が愚痴として言った言葉が私の中で反芻され「本当にそうなの?」「私にできることは、ほかになかったの?」と、私が私に問いかけます。ある程度気持ちを掃き出し終わった後は、冷静になり、「私も悪かったのかも…」という気持ちが出てきました。
愚痴ったあとは「私はきっとこうすればよかったんだね」「まぁ姑も大変だったってことだね」と、姑への怒りは収まり、旦那に対しては「聞いてくれてありがとう!!」という気持ちになり、実際にほぼ毎回「聞いてくれてありがとね。気分悪くさせてごめんね。やっぱりあなたが大好きだーっ!!(笑)」で終わっていました。ただ愚痴って肯定してもらうよりも、スッキリしていたと思います。
そして、一歩外側から見ることが可能に
これを何度も繰り返すこと数年。現在、私自身の変化を感じています。
今私は、人生の転換期にあるようで、大きな(と感じる)問題にぶち当たっています。家族をある程度巻き込むことなので、姑にも話しました。本当は「何言われるかなー(;’∀’)」「どうせ否定的なこと言われるだろうから、言うの嫌だなー」なんて思いながら。
結果的には、案の定、言われたくない言葉も言われました。しかし、その時の私の気持ちは、今までのように「旦那に愚痴ってやるー( ノД`)シクシク…」という感じではなく、「あぁ、それも一理あるな」と感じることができました。さらに、以前ならカチンとくることを言われても「そうか、姑も体裁を整えるのに必死なんだな…」と、相手の事情を冷静に受け止めることもできるようになっていました。
相手を無条件で許す、ということができるようになってきました。
今までの私は、カチンとくることを言われると、自分が劣った人間だと言われているような、否定されているような気がしていたのです。だから、自分の正しさを証明したい!という気持ちが大きくなり、でも言い返すこともできず、旦那に愚痴っていた。「私はこう思うのに、姑が違うっていうんだよ!私の方が正しいよね!?そう言って!!」みたいな感じだったんですね(笑)
そもそも、「カチンとくる」ということは、「実は自分も心のどこかではそう思っていた…でも顕在意識としては認めたくない!」という状態なんですよね。泳げないことを気にしていない人は「泳げないなんて恥ずかしくないの!?」と言われても「いや、だって海とかプールに行かなきゃ良いだけの話でしょ?」ってな感じでしょう。気にしていることを言われるから、カチンとくるのです。
最近は、「姑だって完璧じゃないし、考え方は違う。姑が白と言ったって、私が黒と思うなら、私にとっては黒で良いじゃん」と思えるようになってきました。まだまだ、私が黒と思っていることを「白でしょ!」と言われたときの、その場のリアクションには困りますが(笑) 気持ちは落ち着いています(*’ω’*)
あなたも、もう少しかもしれない!
以上、私の経験談でした。私は気持ちが安定するのに何年もかかりましたが、あなたが今、姑との関係で悩んでいるのだとしたら、参考にしていただけると嬉しいです(*^_^*)